牧師の土曜日

「ボクシって普段何しているんですか?」と聞かれることがある。教会の案内に「礼拝」とか「お祈り会」とか書いてないと、空き時間のように思われているようだ。確かに自由時間ともいえなくもないが、教会はそれなりに忙しい。特に土曜日は必死になって日曜日の礼拝のための準備をする。他の牧師先生たちによっては、金曜までに準備を済ませ、土曜日は余裕で、ではなく、神様の前に心静めて、祈りつつ過ごしておられる方もいるようだが、私はそうはいかない。普段のんびりやっているつけが全部土曜日に回ってくることが多く、ひたすら牧師室にこもっている。 それでもいろいろな人のことが浮かんできて、明日どのような説教をしようか、いやどんな説教をしたら心に響いて聞いてくれるのだろうか、また、この聖書の意味は本当はナンなのだろうか、一応プロ意識もあり必死なのである。 そこで毎回のように体験することがある。まず聖書のことばが自分に響いてきて、「オマエハコノコトバヲハナスシカクガアルノカ?」ということだ。尊敬するある先生が「俺、俗人牧師」という本を書いておられ、自分に置き換えて「俺も俗人牧師」と思ったことがあったが、この仕事を続けている以上、聖書のことばに向き合い、聖人牧師と思われる姿とセルフイメージのギャップに苦しみながらも土曜日を過ごすことになる。 そんな一日が救われるのが神様が「愛」ということだ。結局これが言いたかったのだが、どんな自分でも、日曜の礼拝に「自分をタナに上げて」話さなくてもいいのは、どんな牧師、どんな人間もそのまま赦され、愛されているので、大丈夫と思えるからだ。大雑把な信仰のようだが、ふだんいろんなことがあっ

朝の祈り会

教会では、火曜から土曜まで、毎朝6時から祈り会(早天祈祷会、と呼んでいる。「争点祈祷」ではない)をしている。その時読んだ聖書の言葉。 「ふたりはひとりよりまさってい。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。」 旧約聖書 伝道者の書 4:9 教会に来ていても、悩みを打ち明けられないで、一人で重荷を負う方たちがいる。解決の道が見えなくても、悩みを人に聞いてもらうだけで、心が少し軽くなるのではないか。教会の人たち(兄弟姉妹と呼んでいる)を信頼してくださり、「ひとり」が「二人」となることを心から願ってる。

2014年10月8日 プログをスタートします。

今日からブログを始めます。徒然(つれづれ)なるままに? 牧師として、普通のおじさんとしての日常を書いていきます。興味がある方、目を留めてやってください。

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